夏休み、地創生の大冒険!カンボジアスタディツアー

2024年9月7日~9月13日、地域創生学群専門科目「海外スタディツアー(カンボジア・オーチュン村)」に参加した学生9名が、カンボジア農村部の貧困層の子どもたちへの教育支援を行うNGO団体CIFTOで、英語の授業を企画運営しました!

カンボジアは、1975年4月から1979年1月までの3年8ヵ月間で約200万人が死亡する「大虐殺」があり、その対象に教師が含まれ、教育基盤が大きく損なわれました。また、カンボジアでは著しい経済発展を背景に貧困率も減少しているものの、2022年時点で人口の16.6%が未だに貧困状態です(1日2.15ドル以下の収入)。結果、2023年度の中学校修了率は40%で、多くの子どもたちが義務教育を修了しておらず、農村部はさらにひどい状態にあります。

そこで、本学の学生は、そういった学びたいけど学べない村の子どもたちに、無償で英語と日本語を教えているCIFTOにて、3日間で3コマ(3時間)、英語の授業を企画運営しました。

カンボジアでは、毎日が異文化経験、自分の価値観をぶっ壊され、驚きの毎日でした。

1日目は、福岡空港からマニラ空港を経由し、深夜にカンボジアの首都プノンペンに到着。韓国しか海外経験のなかった私は初めてのトランスファーに、初めての時差のある国にウキウキが止まらないまま、次の日のためにホテルに到着後就寝。

2日目、朝8時にホテルを出発し、このスタディツアーでお世話になったダラーさんと合流。トゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドへ。個人的に、人生で必ず一度は来ようと決めていたこの場所。トゥールスレン虐殺資料館では、とある部屋に入った途端涙が止まらなくなったり、どうしても足が動かず入ることを断念した部屋があったり。どこか現実味を感じることができなかった、カンボジアの虐殺の歴史を目の前で、肌で、そこにあったのだと感じ、胸が苦しかった。キリングフィールドでも、途中涙が止まらなくなってしまった。その後、CIFTOの拠点がある、「オーチュン村」へ。オーチュン村に到着してすぐ、村の子どもたちが集まってきてくれてハグの嵐。この日の夜、私は、カンボジアに来て初めて心がぽっきり折れてしまいそうになる。それは、お風呂。私はてっきりお湯の出るシャワーを想像していた。実際入ってみると、大きなバケツに水がためられていて、それを方手桶で流すというもの。私にとっては人生1と言っても過言ではないくらい大きなカルチャーショックで、思わず「日本に帰りたい」とこぼしてしまった。そんな、楽しさよりも、ショックが大きかった2日目。

3日目~5日目、村でのフィールドワークがスタート。バナナ農園に行ったり、バナナチップスを作ったり。原付バイク3人乗りを経験したり、バイクに繋がれた大きな荷台に10人乗って移動したり。最高にワイルドなカンボジアを感じ、カンボジアが大好きになった3日目。4日目は、ライスペーパー職人さんの家に訪問。ライスペーパー作りを体験させてもらった。そこで私はさらなる自分の浅はかさを痛感することになる。ライスペーパー職人さんに「趣味はなんですか」と、ダラーさんに通訳してもらい聞こうとすると、ダラーさんから「趣味は難しいから、もう少し簡単な質問ある?」と言われてしまう。趣味が難しいって何だろうと、その瞬間私は思ったのだが、後に、「貧しい方たちは毎日の生計を立てるのに精一杯。趣味という概念がない」と気づかされる。「趣味」があることはとっても贅沢なことなのだと恥ずかしながら人生で初めて気づいた。その日から、「幸せ」について考えることになる。答えは未だに見つかっていない。夜は、ダラーさんの親戚のお家のホームパーティに誘われ、言葉の壁を越えたコミュニケーションを肌で感じた。5日目はハンモックカフェで疲れを癒した後、あいにくの雨で、身動きが取れず。オーチュン村最後の夜をダラーさんとみんなで語り合いながら過ごした。

6日目。朝、オーチュン村を出発し、空港に移動するまでの間プノンペン観光。王宮やセントラルマーケットを観光。思う存分ショッピングを楽しんで、空港へ。6日間のスタディツアーを終えた。

このカンボジアスタディツアーで、勉強に熱心に取り組む子どもたちや、村での生活に、自分の意識や価値観を大きく変えられました。日本に帰国して自宅でまず初めにお風呂に入ったのですが、シャワーから出ているお湯に触れた瞬間、なぜか号泣してしまったのです。お湯に触れて泣くことがこの人生であるとは思いませんでした。そんな、自分自身も知らない自分の感性に気づくことができたカンボジアスタディツアーは人生の大切な宝物になったと言えます。

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